ばんかずまのブログ

ジャンルは気まぐれですが為になることを書くように心がけています

26歳で独立リーガーだった時、なにを考えていたか

こんばんは伴です。

2016年のシーズン、愛媛マンダリンパイレーツで投手としてプレーしていた僕は結果だけで見ればキャリアハイの成績を残していました。

 

先発と中継ぎをこなし、前後期とも優勝。

チャンピオンシップでは2戦目に先発して勝利投手(確か)。

グラチャンも5試合中4試合にリリーフで登板し、無失点。

 

チームは前年に日本一になっていましたが連覇ならず。

 

この年、初めて「野球太郎」という野球の専門誌に「ドラフト直前号」でカラー写真付きで載ったわけですが、ドラフトで指名されないことはわかっていました。

 

何故なら調査書が来ていなかったからです。調査書がなければ指名できないわけではないですが、可能性はほぼ0です。

 

チームメイトに何人か調査書が届いていた選手がいたのは知っていますので、その選手はフェニックスリーグから愛媛に戻ってきていました。

そのころ僕は宮崎で試合をしていましたから、もう確実にないわけです。

 

結局ドラフト当日、チームメイトも指名されずにドラフト会議が終了してしまいました。

 

さて、ここからどうするか。

この時26歳。来年も野球をしたいが日本で独立リーグでやっていてもNPBへは進めない。

 

冷静にどうやったら野球を続けられるのかを考えた結果、その年の8月ごろにTwitterで見つけた台湾プロ野球の合同トライアウトを受けることにしました。

 

同じ27歳だとして、独立リーグで続けるよりも海外のプロ野球で結果を残して海外の担当スカウトなどの目に留まれば、逆輸入の形でNPBへ進めるかもしれない。

 

そうでなくてもマイナーリーグなどの選択肢が出てくるかもしれないと。

そう考えた僕は11月に平日練習、土日にアルバイトをしながら渡航費と試験代を稼ぎ、12月に台湾プロ野球の合同トライアウトを受けることにしました。

 

このトライアウト自体は不合格でしたが、その後、台湾の社会人野球チームからテストの打診があり再び台湾へ。

テストに受かったため、台湾で野球を続けることが決まりました。

実はテスト最終日に右膝の靭帯を損傷してしまい、これが原因でこの年の結果は最悪でした。

 

台湾の社会人野球チームは4か月で解雇となり、7月半ばにBCリーグの信濃に拾ってもらえましたがそこでも全くダメでした。

 

16年のシーズンを終えたとき、「海外で野球をしたいか」「そもそも野球を続けるのが正解なのか」「もういい加減限界なのでは?」いろいろ思うことはありましたが、実際に挑戦し、失敗したことで自分の決断に納得しました。

 

正直なところ「あのケガがなければ」と思わないわけでもないですが、今思えばいい経験になっていると思っています。

 

皆さんもやりたいことがあるなら「やりたい!」と思ったうちにやっておきましょう。

いつできなくなるかわからないですよ。